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愚痴

随分前から嫌いな人がのうのうと今も生きてる。

昔から私をなじってきて、私の目の前で私のことを嫌いって言って、地味人間の私がなんとかして喋ろうとすればしゃしゃり出んなと言って遮って、私を好きって言ってくれた人にまで手を出して、担任にいじめの報告出してもしらばっくれて、そのくせあれが今日も笑顔で生きてるって事実だけでもう嫌だ。

どうしてみんなあれを好きになるんだろう。私と同じ目に遭ってないからかな。何人かあれに釣られて私たちをなじってた連中がいるんだよなあ。全員許せない。きっとあれが行く高校にも私と同じような人がいるんだろうな。その人まで同じ目に遭うんだろうか。

八方美人もなんだかなあと思うけど、隠れて見えない一方だけを執拗に攻撃して他の方向にはいい顔ばっかり見せるのはもっとクズだと思うよ。

価値

※相当おぞましいことを言ってますが、全部自分自身に向けて言っていることなので、真に受けないでください。

読まない方が幸せです。

 

 
「誰かの代わりに」

国語の時間に習った論説文。

その授業中に高橋和巳の名前が出てきて、頭の中に「わが解体」がよぎった。嬉しかったのはそこだけ。

で、これ書き下ろしですって。読んで危うく泣きそうになるものだった。「おまえのかわりはいくらでもいる」という事実がはっきりと目の前に突き付けられた気がして。

それだけなら良かったんだけど、「そんなにきもちわるいおまえのかわりはいないし、おまえにはこのよにいてほしくない」ということが思い浮かんだ。

 

たしかに。

私、取り柄がない。

 

きれいな教室内の一部になれない。存在自体が気持ち悪い粗大ゴミである。そして粗大ゴミは頭にまで粗大ゴミが詰まってるので、勉強はできない。体育では毎時間のように息切れを起こす。ランニングでは1周遅れ。たまに生理痛を理由にして休む。弱すぎる。クズ。音楽、歌では大声とそれなりの高音が出せるだけ。音程は外れている。リズムもまるきり違う。リコーダーのアンサンブルテストは自分だけがミスをする。そこまでくると慰められる価値もない。

そこまでだめならどこに価値が?と思って、趣味について考えてみた。創作と絵と文。

わたしは、作る世界観も継ぎ接ぎだし、未確定の集いだし、誰も満足させられないし、その時点でストーリーはアウト。

絵はさらにアウト。わたしが価値を感じられるものは一枚もない。

じゃあ文章は。

文章書く人間なら、すこしぐらい相手に素直に気持ちを伝えられるはずなんだと思うんですが。

それすら不可能でした。

 

ああまわりくどい。今まで書いてきたものは全部全部全部まわりくどくて、気持悪くて長く見てられない。

わたしが量産するもの全部が全部気持ち悪く見える。

私の小説もどきより、Twitterで見る他の人のリプライの方がもっと価値があって、素直で真っ直ぐな気がする。

隣の芝生は青いじゃすまない。本当に自分の書く長文は誰から見てもゴミ扱いされるものじゃないのか、と思う。

 

この通り、人間性として正当化できるものがどこにもない。

お前の代わりはいくらでもいると言われるより、お前以上の価値のものはいくらでもあるって言われる方が似合っている。

どうしてわたしだけこうなったんだろうなぁ〜、いつか変われるかなぁ〜、と楽観的に考えることもあるが、3学期最後に提出する可能性がある国語のノートに遺書もどきでもタイムカプセルとして書きたいな、と考えた時点で変われるわけもない。

 

映画監督である黒澤明の兄は、「人間は30を過ぎるとどんどん汚くなっていく」といった旨のことを発言している。実際、彼は30歳で自殺した。

私も、自我が芽生えて、脳が発達するにつれて自分の中の汚さがよく見えるようになっていき、結局15歳になった現在としては「自分にもう綺麗なところはどこにもない」という結論を出している。

私としての「綺麗なところ」は、自分の「存在価値」と同じ意義である。

あなたのこの要素が好きだよ、って言われたら、それはもう有頂天になるけど、その要素を失ったらどうしようと思って、そのあと試行錯誤を繰り返してその要素を突き詰めていこうとする。でも気が付いたら試行錯誤の末にその良い要素が別のガラクタに変わって、せっかく私を肯定してくれていた言葉もそれ以上飛んでこなくなる。それで良いところを失っていく。

肯定だけで生きていこうとする人間というだけで価値がないのだが、肯定される部分がなくなると価値がない粗大ゴミになる。

じゃあおまえも黒澤明の兄のように自死でも考えたらどうだという話だけど、自分に価値がないだけであって自分が死ぬと悲しい人たちは確かにいるらしい。世知辛い

このように価値がないゴミが生きてるのは私の自意識がとにかく嫌なんだ。でも死ぬことはしない。私のいつかの死因は精神疾患に関わるのだろうという予測はできているが。

 

私からすれば、何しても結局は失敗するゴミって私ぐらいだから、そういう価値無しのものを世界は積極的に虐殺してほしい。

 

いろいろと悲しくなる。植物みたいになりたかった。なるのならなにも考えられないバカが一番良い。自意識など死んだ植物でよかった。中途半端に考えて悲観する生物になんて生まれたくなかったよ。

 

書くのもめんどうくさくなってきた。

私がなかなか誰にも理解されないのは私自身が私のことを理解しようとしないせいかもしれないけど、私は私が一番嫌いだからこれ以上理解したら私が嫌悪感で私を殺してしまうだろう。

 

価値がない生き方をするより、価値を捨てるために死んだほうがよかった。

私に限った話で。

小説

アタシはお祭りごとが好きだった。みんなよく騒ぐじゃない。アタシがひとりきりで閉じ込められていたおうちの中にも響いてくるのよ、世界は今幸せなんだって言い張るようにみんな騒がしくしてるのが。人の起こす祭りは、アタシにとって世の中のダークサイドを殺してくれるものになっていたの。発祥が何であろうと、アノ人たちは祭りの日には何か特別な信念を持つじゃない。世界平和。いまこそわたれわたり鳥。Japaneseも旗を振って何かをお祝いするのかなあ。なんのためにだろう。なにかが発展したり、なにかがなにかを奉れと言ってもいないのに騒がしくすることが好きなのね。

アタシだって静かな森より騒がしいストリートが好きよ。

先述したとおりアタシはひとり寂しく家に篭っている人間だったから、外で騒がしいことをしているみんなが好きだったの。たとえ人の死であろうと良い、祭りの肴っておもしろいって思えた。

 

だけど、自分のせいで祭りが始まったらなんかなあ、って思っちゃった。これってエゴなのかな。

 

私がお父さんに連れ出されてみたパレード。輝かしいお祭り。マリーの部屋の住人が初めて見た色。飛び交うヘリウムのかたまりと着色剤。走るクイーン。槍を担ぐキング。あわてず、ゆっくりともなさらず行進するおもちゃ兵。アタシたちが民衆になることの素晴らしさ。ああ、アタシは家という籠と車椅子なる不用品たるものを壊した。カラフルで素晴らしい世界へ躍り出た。

 

道路の中心に向かって走り出す。その先には小さい子ども兵が小さい槍を抱えていた。真っ白な肌。まるで昨日会った、クールなアノ人みたい。

あのかぶとは鉄かしら。鉄の匂いはしないのかしら。アノ人が白いパーカーに付けた液体からした、ツンとくる匂いはしないのかしら。

そう思って近付こうとした。

周りから悲鳴が上がった気がした。やめて、いけない、よけて、おじょうさん、そっちへいかないで。

 

腹に何かが食いこんだ。

 

祭りのくせに、どうして。

降ってくる怒鳴り声も、キングの槍も、パレードの終わりを予感させた。

キングが心臓発作を起こして。

女の子がキングの落とした槍に当たって腹をえぐられた。

誰かの声が聞こえた。

自分の腹から鉄の匂いがする。

地面に槍が突き刺さっているから、身動きすると腹の中を貫いた棒が蠢く感覚がして、激痛が走る。

なにもできない。

ねえ、これは包帯じゃ治らないの、お母さん。お母さんどうして真っ青な顔だけしてるの。お父さんなんで舌打ちしてるの。こわいじゃない、やめてよ。おまつりらしくない。

 

もしかして、2人とも、私の命は舌打ちですむものだと思ってるの?

 

目の前すら、見る気力が一瞬で失せた気がした。こんな光景など見ずに死ぬことが一番楽に思えて、だけどお祭りは終わりまで見ていたくて。あれ、死ぬということはどこから分かっていたのだろう。わからないけれど。

地面に垂れるものが風船よりも鮮やかで、赤い。あれ、血って赤いものだったのかな。じゃあ、アノ人がつけていた、パーカーの黒い模様は?お母さんが、ぺいんぺいんごーあうぇい、で付けた、アタシの指に巻いた包帯の下に付いていた黒い染みは?

 

ああそうか。アノ人は。

人殺しだったんじゃないのか。

アタシの神様は人殺しだったんじゃないのか。

最後に得た希望としての宗教は、狂っていたんじゃないのか。

アタシは笑った。

 

あなたのかみさまうそのかみさまよ。

いいや。

 

アタシだけのかみさまにさせてよ。

死は眠りであると言ったあの神様が。あの狂った人殺しの罪人が。

今の際だけでもいいから、彼を救いに死なせてほしいの。

 

頭の中に「Go to sleep」の文字がよぎる。

 

指を重ねた。祈りの形のまま死ぬことにした。聖女のようになれるように。

 

そう、アタシの神は彼だけでいい。

 

あの日から、彼の信徒はアタシだけでいい。

 

理解されなくたっていいのだ。

醜態

オーマイダーティ、部屋が汚い。

冗談抜きに汚い。

汚い。一人暮らしとかしたら絶対汚部屋になりそう。うーん。どうしようか。女子力は別に0でもいいと思うけど、汚部屋になったら生活がしづらい。くるしい。あの人みたいに掃除する?掃除したら部屋の広さが何倍かに増えたとか言ってた人みたいに掃除する?

めんどくせー。掃除というものはとにかくめんどくさい。そもそも自分のことをやるのがかなりめんどくさい。

だからニートと言われるのだ。

寝たい。

グラブってる?

グラブってなくてもいいと思うよ。

 

 

 

私立入試を突破した記念にグラブル初めて、だいたい2週間ぐらいかな。地雷カス初心者の域を未だに脱せないけど、これどこまで行けばいいんだろう。とりあえずゲーム熱を少しは戻そうと思って始めたんだけど、そこまで熱中しなくてもまだ進む。あとクムユちゃんがかわいい。

クムユちゃんがかわいい。

ロリ巨乳。赤面。ファーオ。(よく聞く効果音)
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(こう見えて肝っ玉小さいのもかわいい)

 

あと、課金という禁断の手を一度だけ使うことにしてヨダルラーハ爺ちゃん(チート)を呼んだので、もうSSRに恵まれることなどないだろうと思った矢先、レジェンドガチャを貰ったチケットを使って一回引いてみた矢先のこいつ。

 
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シャアアズナブルが来た。

いや、ガウェイン(CV:関智一)氏だけど。

調べてみたら「ガウェインくん」と呼ばれるぐらいに親しまれているようなので、これから防御役として頑張ってくれればと思う。よろしく、シャア。

 

で、おにいちゃん枠。
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ラカム(CV:平田広明)

ハイパーかっこいいぜ兄貴。

女騎士カタリナと徐々に恋愛フラグが立ってるのもいいぜ。

ちなみにメインキャラだからストーリーを進めてれば普通に来てくれるよ。ほらどうよ。

最近前線に出してなくてごめんな〜って謝っても「いいっていいって。」って甘やかしてくれそう。だからこそなんとしてでもおにいちゃんの活躍場所を見つけなければ。それにしても兄貴すてきやね。

 

ほぁーそれにしてもキャラ性が濃い。深い沼になりそうなのが「防御タイプと見せかけて戦闘狂」のザザくん。純粋にかっこいい女キャラはロゼッタ様。いいなー。グラブル楽しいなー。ストーリーを進めていけば私の好きなヤンデレも出てくるし。イェーイ。イエスヤンデレ。イエス束縛。イエス忠誠。

 

さて。また何かあったらグラブル報告します。

 

クムユちゃんがかわいい。

 

よんでいただきありがとうございました。

創作について(長すぎる)

自分は生まれて3年ぐらいで絵を描くことを始めていた、と思う。特に覚えてないけど、現存している絵のレベルが大体そういう感じなのだ。ちなみに親には聞いてない。

で、小説というか、文に手を出し始めたのが12か13ほどだ。なんで小説を作りたかったかといったら、絵と文の間に「自分が好きな物語を作ってみたい」という感情が芽生えていたからである。

 

幼稚園年長から既にその欲求は始まっていた。そしてまず作ったキャラの容姿が固定されて、名前がつく。その時プレイしていたドラゴンクエストに多大なる影響を受け、ゲーム内のキャラである格闘家「アリーナ」の名前、容姿を引用させた主人公を作った。名前はそのまま、アリーナ。チート級の魔法使い。アリーナの幼馴染みに、同じくドラクエに登場していた魔法使いである「ゼシカ」を引用した、健気な魔法使い、ゼシカ

同時期に生まれたアリーナのライバルである少女が、ミーナ。ツリ目。彼女がそれなりに凛としてて可愛かった。アリーナのそばに居る妖精(なんでこんなもの作ったんだ...?)がユクシー。物語のラスボスであるアリーナそっくりな悪の魔法使い(?)がサウザンド。キャラビジュアルに何のひねりもなく、こんなの発表してどうするんだってものばかりが量産されていく。

 

それに終止符が打たれたのが3、4年生の時。そこから中学1年に至るまでが私の創作愛のピークだと思う。

絵ばっかり描いてるもので学校内に友達がなかなかできず、しょんぼりしていた頃だった。登校、下校もほぼ1人である。その1人の時間がとにかく最高だったのだ。創作を誰にも邪魔されることなくできる。幸い学校までの距離は少し長かったため、たくさんの創作をその期間に作れた。最初のうちはアリーナたちの物語のプランをぼちぼち考えていたのだが、そろそろ行き詰まったなぁと思った矢先、題材にしようと決めたのが少し前に買ったドラクエ9であった。

主人公はそのまま私の名前だったので、創作内での彼女の名称は少し弄ることにした。そして主人公の名前は「ハルキャ」になった。その後に作っていた仲間が、背は低いがかなり強い「ミミカ」。さらにその後に出来たのがかなり力の弱い「セヴリーヌ」。最後に作った防御担当が「エリガ」。この頃はエリガとセヴリーヌは双子の姉妹、という設定だったが、後々その設定は撤廃される。

とにかく彼女らの冒険劇を作ってみようという発想になったはいいものの、それはドラクエという世界にかなり合わない完全なギャグだった。ミミカがスライムを食そうとする。ツンデレエリガとハルキャの掛け合い。杖を敵に奪われた程度で激怒して泣きわめくセヴリーヌ。

かなり壮大なストーリーの中で繰り広げられるギャグ。それなりに楽しかったのだが、こんなんがドラクエでいいのか、と昔の自分も頭のどこかで思っていたのだろう。その世界に新たな青年キャラを紛れ込ませたことで、ドラクエ9創作は一気に活発化していくが、これはまた別の話。

 

それで、今に直結する創作の話。現在小説カキコで書いている「ぼくらときみのさいしゅうせんそう」について。この話の原案を完成させたのは小学5年生のときである。ほとんど登場人物のネーミングは今と変わらないが、キャラの人数、ストーリーがかなり違ってきた。今書いている「さいせん」は学園デスゲームものにどこか近いが、原案は「『ヒトクイ』と呼ばれる人間の成れの果てを主人公姉弟が能力を使って成敗していく」というストーリーだった。タイトルも違う。そのまま「ヒトクイ」なのである。実際そのヒトクイの設定も撤廃され、結局はクズ人間たちが成敗されていく話になった。ヒロインである「ハルミ」は原案ではなんとか生き残ったが、さて現在はどうなる予定なのだろうか。

 

今最も描いているであろうリフたちの話もしたかったのだが、気力が尽き申した。創作話、今となっては1、2、3、4、5、6、7、...8もある。人が死なないものがない。元々あった創作二つをまとめてできたものもあるので、本来は9つの創作世界があるはずだ。今は存在が消え去っているキャラも何人もいるはずだし、今残存してるだけでも50人は優に超える。まったくもって、やなせたかしにはかなわない。その中でも奇跡に思うのが、初めて作った創作キャラであるアリーナが「アヴィナ」という名前に変わり、セヴリーヌの息子という設定が付け加えられ、未だに創作世界で生きているということである。しかもアヴィナの幼馴染みとして、ゼシカも「ジェシカ」という名前に変わっただけで生きている。

私の場合、昔やってたことを今修正して、みたいな感じに創作は作られているけど。楽しいからまだやっていこう。絵も描こう。文も書こう。まだ創作の幅を広げていこう。

自分で自分の好きなものを作るのはかなり楽しい。