失望とは

ここで言わせてもらうが、担任のことが好きだ。

恋愛的な意味ではない。人間として尊敬している。面白い。時にはドライ。しかし不器用な優しさがある。脚が長い。そしてこれは馬鹿な台詞になるが、図体はでかいくせに小動物のようでかわいらしい。そういうもの、なりたかった。

 

担任に見下されるのが怖い。

そもそも担任には希望も何も抱かれていないのだが、それでも私は誰かに認められたい。

やっぱりこいつは駄目だったか、と思われたくない。

私の駄目なところはいくらでも見当たる。

字の汚さ。見た文章の内容をうまく掴めない。耳が悪い。視界が狭い。考えることが下手。空気を読めない。一言多い。私の言動が原因で友人関係が悪くなってきた。泣き虫。「死にたい」と言うことでしか精神が安定しない。

 

それでも見捨てられたくなかった。まだあのクラスの一員のままでいたかった。こんなに頭が悪くても。こんなに成績が悪くても。こんなに物覚えが悪くても。まだあのクラスの片隅に残っていたかった。

 

あした、いや、きょうになった。

今日、学校に行ったら、私はどうなるのだろう?

プレッシャーに刺し殺されるのだろうか?

もし受からなかったらという被害妄想で心が死ぬのだろうか?

きっと明日は、教室の中でみんながずっと勉強している。

 

私だけ、何をしても心に焼き付くほど学べることがない、なんて言い出せない。

 

社会の中の誰かが「うつ病で休むことは甘え」と言った。

私にうつ病という診断は下ってはいないが、そもそも人一倍努力をしなければほかのクラスメイトと教師に何一つ認められない私が、ひとときでも休むなんて、それは世の中に対する甘えじゃないのか、と思う。

 

私は休めない。

一度休んでしまったから。

休んだら死ぬ。もしくは殺される。

 

担任の話から逸れた。

とにかく、もう学校に行きたくない。

私はもう外に出たくない。このまま眠りつづけて死んでしまいたい。

生きることに疲れた。自分の納得のいく人間になれないままなら死んだ方がましだ。いい子になって生まれ直してきた方がましだ。その方が社会は助かる。

 

というわけで、今日の6時50分に目覚めたら、私の精神はその時には既に死んでいることでしょう。

 

さようなら。